2025年12月1日月曜日

AI時代でも読書は、情報量を得る最適なツールに変わらない‼

 インターネット、SNSが普及した現在、読書文化はオワコン化しているように考えがちですが、それはいかがなものでしょうか。確かにスマートフォンやタブレットのおかげで電子書籍だけでなく、YouTubeの動画でも知識を得られるようになったのはありがたい事です。

文字だけの情報より、画像や動画のように視覚でとらえられた方がより分かりやすいのは明らかです。本を探すより、インターネット検索した方が手っ取り早く、的確な情報を探し当てられる分、読書文化は衰退していくかのように思えます。読書は昔ながらの古びたコンテンツになってしまったのでしょうか。

実際、文明はそこまで進化していないどころか、人間自体もその文明に対応しきれていないところがあります。インターネットが情報を得られる手段であっても、情報量を得られる最適な方法ではないからです。

計算がパソコンで可能になったように、インターネットで情報が早くやり取りされ、検索で正確さ、今後のAIで推測可能なレベルに達っし、情報の速さだけが上がってきているだけです。肝心の情報を取り込むのは人間次第です。パソコンやAIによってバックグラウンドだけが進化している。

つまり、必要最小限の情報だけを迅速に得られるように技術革新が続いています。無駄な情報が一切なく、知識の幅、深みが無くなってしまっているのです。少し寄り道した方が、新たな発見があったり、探求心に繋がるものですが、それを一切排除した世界を作り上げようとしています。

データやAIにまかせっきりになってしまっては、そのAIの枠内でしかなく、人間を模倣するAI自体もその枠内でループしているにすぎなく、小さくまとまった世界になるでしょう。

AIと言えども、人間が生み出した以上、その範囲内以上の答えを導き出すは不可能です。ゲームの仮想空間の中で決められてた事しかできない状態に近いのかもしれません。人間がAIに依存すればするほど、その範囲は集約され、収束していくだけで、人間の行動自体制限されていく事になりかねません。

AIも人間に依存する存在でもあるため、どちらが悪いとかの話ではなく、にわとりと卵どちらが先かの議論をしても進展しないわけです。ただAI社会によって、人間の行動が制約されていく事になるのでしょう。

現代は、規制が多くなり、昔の方がもっと自由だったと思えるくらいで、小さく小さく生きなければならない窮屈な不自由な時代になっていると実感するくほどです。それがAIによってさらに加速していくとなると、人類が夢見てきた空飛ぶ車や宇宙開発の技術革新にAIが活躍するのではなく、真逆の管理社会でしかなくなるのです。

だいぶ読書から話は反ましたが、インターネットやSNSを利用した情報取得では、限られた結果に必然的に収束するようになってしまうわけで、それが操作と言えば、そう言わざるざる負えない矛盾にもなります。

AIの答えは、まさに禅問答と同じで、インプットが人間で、アウトプットも人間である以上、自問自答を繰り返しているにすぎないのです。あくまで正解を決定するのが人間ならば、AIは確信を得るための「よりどころ」にしかならないはずです。

要は、情報が集約されるわけですから、知識の幅が広がらず、柔軟性が乏しくなるのです。

反面、読書を情報源にするのであれば、圧倒的な情報量を文字だけで得られます。テレビや動画であれば、映像こそありますが、音声は会話のスピードと同じく、聞き手重視のためゆっくりです。

しかし、本なら黙読で、しゃべるよりも聞くよりも早く、情報が入ります。文字だけというのも、映像や音楽に惑わされず、集中して頭に入ります。本自体も、情報がまとまっているため、わざわざ無駄に検索する必要もありません。なによりも思いがけない知識が増える事で、次なる探求心や複合的な判断が可能になり、固執しない柔軟な発想が得られるのです。

AIが人類の知能を超えたと言われますが、既に人間は、パソコンですら計算スピードに敵いません。今さらAIの脅威に踊らされたところで、たいして違わないでしょう。

AIもパソコン同様、ユーザーが合って成立する世界であるのです。これが正解だとすれば、AIはそれに従うだけの、人間の多数決を答えにしているだけでもあるとすると、自分で答えを導き出した方が納得のいく場合もあるのです。

最適解だけが正解なら、経済摩擦も戦争紛争も起きないわけで、十人十色の性格がある以上、AIでも答えは導き出せず、自分だけが頼りになるのです。その知識を蓄えるために、読書が一番効率の良い方法だという事を、忘れかけているのです。

お読みいただきありがとうございました。

2025年11月28日金曜日

コストコの大量買いするメリットとは⁉

 コストコに行くと、必ず驚くのは、何と言ってもパッケージの大きさでしょう。カート自体も日本のスーパーよりのはるかに大きいため、一体どれだけ買い込む必要があるのかと思うくらいです。そこが、コストコへのハードルとなるのは間違いないです。

日本の生活スタイルからすれば、スーパーやコンビニで毎日少しずつ必要な分だけ買った方が理にかなっている感じもします。手軽に新鮮なものをいつでも買えるようになったのは、かなりありがたい事ではありますが、それがいつ滞る事態になるかわからない経験もしています。

それが震災であったり、災害です。日本の規律あり迅速な文化があれば、そのような時でも暴動になるような事態は、まずありませんが、それでも日ごろに備えは必要です。今は、昔より防災意識や非常食の備蓄など心がける習慣は出てきましたが、これだけサービスが整た日本にいれば、それを忘れてしまうのも当然です。

滅多に起きないとはいえ、スーパーやコンビニに商品がなくなったり、買いたくても買えない状況を経験しているわけですから、日ごろから警戒だけはしておかなければならないわけです。

そこで、コストコです。コストコの商品は大量イメージが大きいですが、それでは消費しきれないため、保存の効く賞味期限が長いものばかりを扱っている事が多いです。大量買いしてもさほど苦にならないものばかりがあるため、、食材のストックや備蓄に向いています。

これは、アメリカは国土が広いため、スーパーやコンビニが近くになるわけでもなく、車社会で買い物で買いだめしておくスタイルがあるからでしょう。家も敷地も広いため、買っておいても邪魔にならないわけです。冷蔵庫や冷凍庫もアメリカは家庭でも業務用のように大きいほどで、コストコのような大量買いは日常なのでしょう。

ただ、日本のスーパーのように毎日行くかと言えば、そうではなく、たまに行き大量買いしているからこそ、あれだけ大きなカートをいっぱいに買えるのでしょう。あれだけ大量に買えば、金銭感覚が狂いそうになりますが、買い物自体、そう頻繁に行く必要がないようにしているだけだと思うのです。

なにかと頻繁に行きたくなるコストコですが、それは利便性を最大に活用していません。コストコに何度も通い、少しずつ買うより、年に数えるくらい言って大量買いする方が、合理的です。

するとどうでしょう。毎日、買い物に行く時間が省かれ、家でゆっくりした時間が得られるのです。しかも、備蓄にもなるため、日々の安心感がまるで違います。

もともとアメリカも災害が少ないところではありません。ハリケーンや山火事も多い事からも、日本だけが災害に見舞われているわけではなく、防災意識の高さは広大な自然の中で生活しているアメリカこそ高いのかもしれないからです。今でこそ、日本は震災大国のように言われるようになりしたが、昔はそれほどでもなく、むしろアメリカの方が自然災害の脅威はあった感じがします。

そのせいなのかはわかりませんが、大量買いや備蓄習慣があるから、コストコようなスタイルが定着しているのだと思えるのです。日本でもそれを習慣化するのは、これほどサービスが整った今では考えづらいですが、コストコを利用すれば、その価値を見出していけるはずです。

なにより、買い物に時間と労力を使わなくなれる分、テレビやネットを楽しめるようになれる時間が増えるがメリットがあります。映画や娯楽を楽しめるアメリカンスタイルを生活で味わえる醍醐味なのです。

お読みいただきありがとうございました。

2025年11月25日火曜日

コストコは、ほど良い距離感があってちょうど良い!

 コストコへ買い物に通うようになって数年、相変わらず消費量も変わっていません。2年もすれば、飽きて行かなくなるだろうと思ていたものの、何かと行ってしまうのは、ちょうど良いその距離感にあるのだろうと思っています。

コストコの本場、アメリカは車社会であるため、買い物に車で行くのは、もはや当たり前、国土も広いため、スーパーもデパートも家のすぐ近くにあるわけでもなく、大量に買いだめするようなコストコこそ、まさにアメリカンスタイルとも言えるでしょう。

アメ車のように大きな車に買ったものを大量に詰め込んで、買い物をする生活は合理的でもあります。大きなペットボトルも保存の効く冷凍食品も大量に買ってストックしていた方が、無駄も少なく、車主体であるため、労力が思っている以上に掛からないのです。

日本のように、毎日スーパーに行き、お惣菜など目的に通うのも楽しいですが、毎日となるとやはり面倒です。たとえコンビニでも買ったものは、手荷物にあるため、運ぶのにも労力がかかっているというわけです、車で行き、大量に買いだけしておけば、ほとんど買い物に労力はかからないのです。

つまり、コストコに車で向かい、パッケージ自体が大量なコストコ商品を買う事こそ意味のある事で、コストコの一々大きいボリュームに買いためらっていては、コストコで買い物をすること意義を見出せていない事になるのです。

コストコ自体、日本では、数えるくらいしか店舗がないため、近い場にないのが大半の方の状況ですが、広大なアメリカでもそれは同じことでしょう。車社会であるが故に、距離は意味がないのです。むしろ、頻繁に行くようなところでもないため、距離に利点はないのです。

ただ、近すぎてもコンビニのようにいくところでもないため利用価値は少ないでしょう。コストコはたまに行ければ十分、それ以上行くと特に欲しいものがなくなり、空回りしてしまう可能性はあります。

やや遠くにあって、車で少し遠出するくらいの距離感にあった方が、利便性が高い感じがします。遊園地やアミューズメントパークでもなく、ショッピングモールでもないため、娯楽施設も皆無なのに、なぜか面白味を感じるのは、その過程、つまり車でドライブする事が、一番のワクワク感のボルテージを高められるからかもしれません。

だからこそ、たまに遠出する目的をコストコでの買いものにすると、娯楽施設に行かなくても、そのような気分が味わえるだけ、コストパフォーマンスが高い買い物になり、まさに一石二鳥です。

もはや車社会になった現代で、まして通信のインフラも進んでいる時代に、通販などの流通サービスも時間が掛からず、物理的距離の価値は薄れつつあります。かつて、高速道路や新幹線などスピードを求めるインフラは、さほど重要視されなくなりました。距離という概念の価値観は崩壊しつつあるのかもレません。

お読みいただきありがとうございました。